院長ごあいさつ 全文
内田クリニックホームページへようこそ
当院は,大正8年(1919年)に初代院長内田末正が挙母町(現豊田市)役場前に内田医院として産婦人科を開業しました。
その後、京都大学や海外留学で産婦人科手術を研鑽後に昭和4年に岡崎市康生通に移転しました。子宮癌等の手術を積極的に行い、愛知県で先駆けて放射線治療も実施しました。
第2次世界大戦「岡崎空襲」で病院は全焼しました。
昭和20年(1945年)に豊田市神明町に2代院長内田淳が内田病院として再開業しました。
同時に岡崎市の復興とともに初代院長も岡崎の病院を復活させました。
昭和40年,豊田病院3代院長として内田正が八事日赤病院産婦人科初代部長が就任しました。
(2代院長内田淳は岡崎内田病院へ就任)
昭和45年に木造病院の老朽化、高度成長期のベビーブームにより3代目が旧病院の隣に新病院を増設しました。
平成10年に3代院長は定年で退職し、4代院長内田聡が就任し、現在に至ります。
(岡崎内田病院は平成4年で内田病院淳和会理事長内田修で閉院。岡崎市では外科医ドクタージャズ「U」と敬称され、多くの若いジャズを志す人達に尽力し,日本jazz界に多大の貢献をしたとされています)
平成18年に駅前都市再開発事業のため、現在の喜多町に内田クリニックと改称し移転しました。
開業して大正から令和の時代に至り100年を超えて、産婦人科病院としてこの地域に根差して参りました。
長年にわたり皆様方のご支援、ご指導を賜り御礼申し上げます。
従って、当院のモットウは、幾代にわたるご家族とのお付き合いを大切にすることであります。
母が当院で出産したので受診してくださった時や、私が取り上げたお子さんが元気に出産された時は、産婦人科医の私にとって最高の喜びであります。
当院の出産は、ラマーズ法を基本とする自然分娩を目指しています。
産前に家族と1対での対話を大切にし出産に対する説明を行っています。
しかし、出産は突然に異常が起こることも少なからずありますので、原則、家族の立ち合い分娩を勧めています。
出産時の動画や写真撮影も行っています。
定期健診では4D超音波検査を毎回行い異常が認められた場合やハイリスク妊娠(双胎、逆子、巨大児、妊娠高血圧症等)と判断した場合は、病診連携しているトヨタ記念病院への受診をお勧めしています。
また、母児に緊急処置が必要と判断された場合もトヨタ記念病院と密に連絡を行い緊急対応しています。
母児の健康、安全を第一に考えて、難産の要素をいかに少なくして安心して出産して頂けるように最善を尽くしています。
これからも、この地域に根差し母と子の温かい絆を大切に想い、新たな家族のご誕生にご協力できるように、安心、信頼される産婦人科クリニックを目指しております。
最後に、女性としての健康増進をサポートし、婦人科疾患の早期発見ならびに適切な治療を行うことを私たち職員一同、なお一層努力していく所存ですので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
院長 内田 聡
2023.05.25